人が死ぬということにとても興味がある。

きっかけは、私が2歳の頃 曽祖母が亡くなったことだった。

その後 人は死んだらどうなるのか、ということを 恐らく 周りのこどもよりも考えていたのではないかと思う。
大人にそういう質問をしても、安心させてくれようとするけれども納得のいく答えが出ることはなかった。
周りの大人達だって答えに窮していただろうと思う。

小学生の頃も日常的に考えていたし、そんなだから中学の歴史の授業で見せられる 人が亡くなるような戦争のビデオは拷問のようだった。
忘れようとしている死への疑問が 爆発するのだった。


高校に上がってもそれは続き、高校の最後の年にはとうとうご飯も食べられなくなるほどになり、学校にもあまり行けなくなっていた。


ただ納得のいく答えを知りたいだけなのに。それがどうしても上手く行かなかった。

それから騙し騙しその後を生きてみて

初めて疑問を抱いてから25年以上経った先月の半ば、元気だった祖父が急に入院し「もってあと2,3日 」と宣告された。


2,3日でなんとか覚悟を決めなければ、と気を張って祖父に会いに行った。
絶食で酸素マスクを付けながらもなんだか元気そうだった。

そして、宣告からじきに一ヶ月になろうとする今日も祖父はまだがんばって生きている。

私はしばらく仕事が出来ない状態で時間だけはあるので、思う存分 傍にいようと思った。
そして火が消えて行くのを見届けようと思った。


曽祖母に出会って生まれた疑問を、その息子である祖父が体を張って教えてくれるのだ、と思った。

それは 力強くて柔らかいものに包まれているような 守られているような 不思議なきもちで、自分の中で何かがストンと収まった。

これから何を感じるのかまるでわからないし、最後まで見届けたから何か答えが出るかと言えばそうではないかもしれない。
けれど、「生き抜く」ということはこういうことなのか、と

今はそれが少しだけわかったような気がする。